2018年08月15日

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」

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8/15  旧7/5  晴れ


8/15、終戦から73年の朝。

車で通ったので、立ち寄りました。

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」。

島に住んでいると、
いまだに、至る所に戦跡が見られます。

父・母は地上戦がなかったとはいえ、
島の周辺には多くの沈没船があります。

沈没船では
数千人の死傷者が出ています。

そして硫黄島は戦場になり、
多くの将兵・軍属がなくなりました。

小笠原の住民は強制疎開させられ、
直接には戦禍に巻き込まれていません。

しかし、返還まで、
ほとんどの方が戻れませんでした。


観光で来島の方は
こういうことを知らない方が多いです。

島の人は
もっと伝えたほうがいいと思います。

鎮魂・合掌


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2018年06月30日

大屋政太郎氏

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6/30  旧5/17  曇り

大屋政太郎氏、
多分、今の島内で知る人はいなはずです。

知ったのは、僕だって最近です。

記事にはすでに書いていますので
実は2回目です。

大屋政太郎氏、
2つの二宮像の寄贈者です。

捕鯨会社の方だったようで、
責任者とか役員だったのかしら?

二宮像の説明するとき
寄贈した方ののお名前を紹介できていません。

今度こそ、しっかり覚えておきますよ。




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2018年06月25日

村役場にはためく八丈町旗

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6/25 旧5/12  晴れ


この便は八丈島寄港便です。

八丈島から150人ほどの方が来島。


村役場では、
国旗を真ん中に、左が小笠原村旗、右が八丈町旗です。

八丈の文字を
鳥形に意匠されています。

小笠原は開拓時代、
八丈島をはじめとする伊豆諸島からの移住者が多くいました。

その後の、
強制疎開で八丈島に戻られた方も多くいると聞きます。

そういった経緯の下、
年に一度、寄港便があります。

この便は天気・海況に恵まれています。
よかった。
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2018年03月28日

二宮像寄贈者・・大屋政太郎氏

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3/28  旧2/12  曇り

小笠原中学校の二宮尊徳(二宮金次郎)像は
戦前、地元の方からの寄贈ということを書きました。
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/article/458356863.html

さらに、
寄贈者は大屋政太郎氏ということもわかりました。
http://www.ogachu.que.ne.jp/gakkoudayori/H29/gakkoutayori201706.pdf

もう一度、像を確認すると、
確かに名前がありました。

左足の後ろで像を支える部分に掘ってありました。

大・屋・政まではわかりますが、
太・郎はかなりわかりにくいですね。

これで、すっきりしました。笑
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2018年03月27日

小笠原中学校の二宮尊徳像

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3/27  旧2/11  晴れ

小笠原中学校には
二宮尊徳(二宮金次郎)像があります。

戦前、
扇浦尋常小学校にあったものです。

大村尋常小学校のものとともに
地元の方が寄贈したそうです。http://www.ogachu.que.ne.jp/gakkoudayori/H29/gakkoutayori201706.pdf

2006年に千尋とともに撮った写真です。
7歳児と同じくらいです。
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/article/386992450.html
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/upload/detail/image/CIMG8069-thumbnail2.JPG.html

夜明山の首なし像もこの顔しているんです。
顔は今はいずこ??。
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2018年02月19日

おがさわら丸にも返還50周年ロゴマーク

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2/19  旧1/4  晴れ

おがさわら丸は
1月後半、ドック入りしました。

ドック明けに戻ってくると、
操舵室のすぐ下に返還50周年のロゴマークがついていました。

船首側にあって、目立っています。

今年は
50周年記念のイベントが目白押しです。
http://50th.anniv-ogasawara.gr.jp/

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2017年09月10日

「群島と大学」(石原俊)

群島と大学 冷戦ガラパゴスを超えて [ 石原 俊 ] - 楽天ブックス
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2017年3月発行「群島と大学」(石原俊)です。
http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784907986346

本書は4部で成り立っています。

第2部が
「群島という現場──帝国・総力戦・冷戦の底辺から」

僕にとっては
ここが興味のある部分でした。

なぜなら、ここでの群島とは
第1章が小笠原群島、第2章が硫黄島のことだからです。

著者によると、
「日本本土防衛の<捨て石>として
 強制移住あるいは軍務動員を強いられ、
 さらに日本本土復興の<捨て石>
 そして故郷を事実上の<帰還困難地域>とされてきた、
 ・・・島民の経験から・・・
 日本の総力戦体制や冷戦体制を問い直していきます。」
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2017年03月24日

長谷橋の下にもう1つ橋が・・

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僕が父島に移住してかれこれ25年ほど。

上の長谷橋はすでにあったはずです。

その下に古い橋があったとは
今朝まで知りませんでした。笑

この橋はいつまで使っていたんでしょうね。

知っている人いたら、教えてください。
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2017年03月20日

かつてここも人の生活があった・・

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3/20  旧2/23  曇り

父島の山中には
かつて耕作地だったところ多くあります。

戦後、放棄されて、
またもとの樹林にもどってしまいました。

遺産登録地エリアにも
そういう場所があります。

写真は
サトウキビの圧搾機の残骸かしら?

かつてここも人の生活があったのですね。
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2017年03月17日

山中に残る大きな釜

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3/17  旧2/20  晴れ

先日、
沢の調査中、見つけた大釜です。

沢のヘリはきちんと石積みになっていて、
戦前に人の手が入っていたことがわかります。

近くには
サトウキビの圧搾機の名残もありました。

このあたりは
戦前は畑だったのでしょう。
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2017年02月16日

南袋沢、戦前はここにも人が住んでいた

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中山峠から見下ろす南側の谷筋、南袋沢です。

ブタ海岸から奥に1.5㎞ほどは
傾斜もほとんどない細い谷が続きます。

そこの植物相には
テリハボク、ガジュマル、タケの仲間などが目につきます。

明らかに人の手が入っていた証拠です。

ガジュマルのあるところには人家があったのでしょう。

当時はこの谷も耕作地となっていたのでしょう。

今は無人の谷となっています。

実際、
この谷を歩くと、いろいろ痕跡が残っています。
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2016年07月20日

小笠原諸島返還50周年記念事業実行委員会(第5回)

50周年記念事業実行委員会  #小笠原  #会議



7/20  旧6/17   曇り

昨夜
小笠原諸島返還50周年記念事業実行委員会(第5回)が開催されました。

団体の長として出席。

主議題は2つ。

自主事業第1次募集の採択(案)と
記念事業実施計画(概略案)について

第1次募集の採択ついては
毎年のやっている事業で50周年ならではでないもの2つが
不採択となりました。

実施計画については原案が承認されました。

補足で
母島分科会の設置が承認されました。

なお式典は
2018年6月-7月にかけてとなるようです。
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2015年11月03日

小笠原協会創立50周年記念式典

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11/3  旧9/22   晴れ

昨夕
小笠原協会創立50周年記念式典が開催されました。

この団体は
帰島促進団体の一本化を図るために結成されています。

帰島援護事業の推進、復興・振興の協力、島民の福祉の増進などを
目的としています。

ちなみに
初代会長は故福田篤泰氏です。

式典には
地元団体代表や協会関係者などが呼ばれました。

会長・来賓の挨拶のあと、
功労者の表彰や懇親会と続きました。

式典に
出席させていただきありがとうございました。
50周年、おめでとうございました。
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2015年05月05日

アウトリガーカヌーと青い海

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昨日、
とある展望台から眼下の海を見下ろすと・・・

アウトリガーカヌーが1隻。

どうも、釣りをしているみたいでした。

ハワイからの移住者が伝えたという、
ハワイ型のカヌー。

南国の青い海によく似合います。

やはり
南の島はスローがいいですね。
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2015年02月19日

ジョン万次郎は1842-5-27が最初の来島でした

2/19  旧1/1・旧正月 曇り

ジョン万次郎は
複数回、父島に来島あるいは小笠原近海に来たことは知られています。

そして僕は、
1847年4月、フランクリン号での寄港が最初だと思っていました。

これはアメリカの捕鯨船です。
http://www.h2.dion.ne.jp/~mulberry/sub3-71.html

しかし、
ほんとうは1842-5-27だったようです。

鳥島からハウランド号で救助された万次郎たち。

ハワイで万次郎以外は下りましたが、
万次郎だけはそのまま乗船を続け、アメリカまで行きました。

ハウランド号は
ハワイからまた捕鯨のため日本近海に。

1842-5-27、
父島に立ち寄り食料を調達しています。

万次郎が上陸したかどうかは定かではないですが、
湾内まで入ったのは間違いないですね。

【送料無料】 ライマン・ホームズの航海日誌 ジョン万次郎を救った捕鯨船の記録 / 川澄哲夫 【単行本】 - HMV ローソンホットステーション R
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2015年02月12日

ちょっと変わったアレンジの島寿司

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小笠原の定番食文化の1つは島寿司です。

カマスザワラを漬けにして、洋がらしをつけた握りです。

同じ食文化は
八丈・大東島にもあります。

さてこのアレンジ島寿司は
カリフォルニアロール風の島寿司です。

まわりには
ハイビスカスのソースがのっています。

島寿司の野暮ったい感じとは
見た目が大違い。

ネタの漬の風味が弱くなっていますが、
これはこれでしゃれてて面白いですね。

いかがでしょう。

お店はこちら。
http://www.mmjp.or.jp/hotel-horizon/BUONO/index.html
http://www.ogasawaramura.com/eat/buono.html

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2014年03月23日

「島人ぬ宝」の歌詞

ビギンの「島人ぬ宝」は
よく知られた唄ですね。

小笠原中学校では
運動会などでこの歌でエイサーをやります。

詞を改めてよく読むと、
いい詞だなって思います。
もともと
沖縄のふるさとをイメージして書いた詞だと思います。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A00199

でも小笠原も島で離島なので、
そのまま当てはまるような気がします。

島の子には
小笠原のことをより深く知ってもらって、巣立っていってほしいですね。
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2014年01月17日

父島穴場スポット(6)・・小笠原神社旧跡地

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現在、
小笠原神社は扇浦の納涼山にあります。

もともとは
この石碑のあるところに建立されたようです。

建立時期ははっきりしませんが、
ある資料によると、明治10年(1877)となっています。(不確実)

ここも
今はほとんど行く人もいない樹林の中になっています。

この付近は
指定ルートや遊歩道がない場所です。

場所は陸軍野戦病院の近く、
字名なら大滝となるであろうと思います。

大滝から現在の地に
うつったのは同資料によると、明治41年(1908)です。

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父島穴場スポット(5)・・弟島朽ちつつあるポスト

PICT1023.JPG



今回の写真は弟島のものです。

父島穴場スポットでは父島以外の写真の紹介もしますが、
タイトルに偽りありと怒らないでくださいね。

弟島にも
戦前は人家がありました。

戦後は無人島です。

弟島の昔の道を歩くと
戦前に人がいた形跡がところどころあります。

このポストもそうですね。

かなり朽ちてきています。

年月を感じますね。

弟島も
観光では歩くことができません。

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2014年01月13日

「日本人はいつ日本人が好きになったのか」(竹田恒泰)

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著者の考えでは
「震災と外患と民主党政権を経験することによって、
 日本人は戦後初めて日本に興味を持ち始めたようだ。」

そこから、
この本のタイトルにつながっていくのです。
http://www.php.co.jp/nihongasuki/

著者によると
「GHQが日本を占領したときに、
 いったいどのようにして日本人の意識を変えさせたのか、
 それをじっくり掘り下げてみようと思った。」

そのあたりのことは2-5章で論じられています。
第2章 GHQが日本人を骨抜きにした
第3章 「戦後教育マニュアル」の正体
第4章 「国体の護持」を達成した日本国憲法
第5章 九条改正と謝罪外交の終焉

中国・韓国との付き合い方については、
第6章 中国は敬して遠ざけよ
第7章 前近代国家・韓国の厄介さ

一言でいうと、中国とは距離を置いて付き合う。
韓国とは無理して付き合うこともない。というのが論点です。


日本人及び日本に住む人たち、
みな心から日本を好きになりましょう。


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