2021年06月08日

岐阜県・郡上八幡城からの展望

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2020年04月17日

奥村、藤森図高墓

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4/17  旧3/25  晴れ


奥村咸臨丸墓地にある
藤森図高(藤森圖高)墓。

https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0701syoko_kara06.htm

この墓地は、返還後、
雨水対策でかさ上げした場所日、まとめて設置されています。

明治14年(1881年)6月18日、享年36歳。
病死です。

死因に直接言及しているものはなく、
肺炎を併発というのはありました。

もとは政府の役人として来島、

小笠原が東京府に移管された時(明治13年11月)、
初代所長が藤森氏でした。

所長としての在任期間は
わずか半年ほどでした。


なお図高の読みは正確には伝わっていません。
「とこう」と音読みで読んでいます。

墓では
図の部分は「圖」となっています。


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2020年03月18日

名前の由来がわからない天之浦

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父島の南端部には天之浦という浜があり、
すぐ西側には天之浦山とがあります。

天之浦という地名は
命名の由来がわかりません。

僕が調べた限り、
由来が書いたものを読んだことがありません。


小笠原は
かつてイギリスの探検隊がつけた地名もあります。

しかし、
この場所は「Tenoura」という表記しかありません。

これをネットで検索しても何も出てきません。
英語名でもなさそうです。


似たような名前としては
タチテンノウメ(立ち天の梅)という植物があります。

それがたくさん生えていてためとかは
あるかもしれません。


参考までに
桑にからむ地名はいくつかあります。
桑ノ木山 丸縁湾(mulberry bay)などです。

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2020年03月12日

スポットライトのように日が当たる初寝浦

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昨日午前、ガス陽気でした。

山は
標高250ⅿぐらいからガスの中。

この初寝浦展望台も微妙な状態でした。

下の初寝浦は何とか見えました。
山並みの方はガスの中。


海岸を見ていると、
そこだけ日が差して明るくなりました。

ちょうどいいタイミングでしたね。


初寝浦、
文久の探検隊がつけた名称です。

初めて寝たので初寝です。

島の調査に出て、
この海岸で夜を迎えたことからのようです。
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2020年02月07日

雨水対策、咸臨丸墓地の転石設置

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2/7  旧1/14  曇り


奥村にある咸臨丸墓地、
雨水対策で転石設置をしていただきました。

道路からわずか50mほどですが、
まとまった雨のあとは水路になってしまいます。

スコールのあとなども、そうなりやすいです。

過去の事例
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/article/472149006.html

墓の場所も、その影響を避けるため、
コンクリートで固め、盛り上げてあります。

これで雨天や雨上がりも
安心して訪ねられます。

この作業は近自然工法の技術者の指導の下
やっていただきました。

ありがとうございます。

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2020年02月06日

弟島・学校跡とポスト

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ポスト


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学校門



2/6  旧1/13  曇り

昨日の弟島視察では
南北の旧道縦走しました。

戦前は
弟島にも人が暮らしていました。

一の谷というところでは
学校跡やポストが残っています。

ここが
弟島の中心地だったのでしょうね。


学校は
大村尋常小学校弟島分校だったようです。

周辺はガジュマルが生い茂っています

大村尋常小学校というのは
父島のお祭り広場にあった学校です。

ポストがあるということは
郵便局もあったのでしょうか?

戦後無人島になってしまうと
こうなるのです。
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2020年01月26日

猫岩、瓢箪島、眼鏡島

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左から猫岩、瓢箪島、眼鏡島、
兄島ウグイス浜西側にある小島です。

小島の名前の由来は形からだと思われます。

猫岩、
尖った岩が猫の耳のよう?

瓢箪島は瓢箪形。

眼鏡島は穴が空いている?

実は眼鏡島だけ
きちんと島名すら認識していませんでした。苦笑

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2020年01月15日

西島・瓢箪島・人丸島

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1/15  旧12/21  曇り


父島北西部のある小島。

写真の左から
西島・瓢箪島・人丸島。

上陸したことがあるのは西島だけ。

西島だけは
内陸部に一部私有地があります。

瓢箪島は
形が島名の由来と思われます。

人丸島は
柿本人麻呂に似ている部分があるからの由来です。

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2019年12月31日

景色が見えないなあ・・(福田氏の独り言)

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12/31  旧12/6  曇り


まちを見下ろす場所に
福田篤泰氏の胸像があります。

福田篤泰先生之像と
書いてあります。

先生の目線で見てみると、
前のギンネムが邪魔してまちが見えません。

残念です。

福田さんにちゃんと見えもらうために、
定期的に前方の樹木の伐採が必要ですね。







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2019年08月21日

ガジュマル林に残る井戸

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8/21  旧7/21  晴れ

ガジュマル林に残る井戸です。

ここは戦前の人家あとの場所。

井戸の深さは5m以上ありそう。

水位は低いときが多いですが、
雨期などはかなり上がっています。

この場所にかが多いのは、
これがあるからかもしれませんね。

ボウフラは
止水の場所で蚊になるそうですね。





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2019年06月18日

まとまった雨で川になる咸臨丸墓地

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咸臨丸(乗組員)墓地、
奥村の旭山山すそにあります。

まとまった雨が降ると、
ここに水が流れ込んで、いつも川ができています。

墓地に行くにも
川を越えなければなりません。

元気な人なら、
飛び越えられる程度ですが、困ったものです。

墓や史跡は
コンクリートで少し高くした上にあります。

これは返還以降の整備です。

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2019年01月30日

大久保利通、撰文・篆額の碑(開拓小笠原島之碑)

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開拓小笠原島之碑(小笠原開拓碑)

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篆額

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本文・臣利通

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署名・大久保利通撰文ならびに篆額


明治維新の3傑のうち、
大久保利通が小笠原に足跡を残しています。

といっても、来島したわけでなく、
碑への撰文やそ篆額です。

扇浦にある
開拓小笠原島之碑(小笠原開拓碑)がそうです。


大久保利通の名は
本文で「臣利通」として出てきます。

碑文最後には
「大久保利通撰文ならびに篆額」として刻まれています。

ぜひ訪ねて見て下さい。

碑文もまだしっかり読めます。

http://bunkazai.metro.tokyo.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=416


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2019年01月21日

知る人ぞ知る、藤森圖高(藤森図高)之碑

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篆 田辺太一 撰・書小花作助

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案内板


扇浦にある藤森圖高之碑。
名前の読みは「とこう」となっています。

立派な案内板があるにもかかわらず、
場所はわかりにくい状態です。

道もついてはいますが、
雑草などがしげる状態。

知る人ぞ知る状態。

これでは
訪れる人もあまりいないでしょうね。

史跡に指定もされていません。

碑の面もはがれている箇所があります。


藤森氏、何者かというと、
明治政府から東京府に移管されたときの
東京府小笠原出張所初代所長です。

在任中の明治14年6月18日に病没。
享年36歳。

それゆえ、
明治政府の小笠原開拓にかかわった
田辺太一が篆額、小花作助が撰文・書なのですね。

奥村には墓もあります。


この碑は、小笠原支庁の管理下において、
きちんと整備するのがいいのかもしれませんね。

大大大先輩として。
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2018年12月19日

時雨ダムと時雨滝

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12/19  旧11/13  晴れ

躑躅山北部の稜線から見下ろした風景です。

左のダムが時雨ダム。
返還後できたものです。

そこから右下に続く谷の最後当たりが
時雨滝(時雨の滝)。

時雨の滝とは
幕末の探検隊がつけた名称です。

冬場の探検だったので、
水量が少なかったようです。

この滝の手前あたりの谷は
野伏間谷。

オオコウモリがいたようです。

昼間に見ているはずなので、
ねぐらになっていたのでしょうね。
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2018年11月20日

「小笠原凧」作り方教室(4回目)

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4回目の教室。

作業がはかどらず、
完成まではいきませんでした。

まず
調整した張糸をきちんと結びました。

そのあと、糸目調整。

バランスのいい調整が
なかなかむずかしい。

ここは
指導の方に調整してもらいました。

このあとは糸目の仕上げ。
次回で間違いなく完成ですね。




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2018年11月19日

「小笠原凧」作り方教室(3回目)

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糸目つけ


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張系つけ


11/19  旧10/12  晴れ

11/18夜、
3回目の作り方教室。

この夜は
たこ糸を使って、糸目付けや張糸付け作業。

細かい作業で
老眼にはつらい作業です。苦笑

糸のしばり方が
いまいちわかりにくいですが、まあなんとか・・・。

今夜は張り糸や糸目を調整します。

いよいよ完成までいくでしょうか?


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2018年11月13日

「小笠原凧」作り方教室(2回目)

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11/13  旧10/6  曇り


「小笠原凧」作り方教室2日目。

前回、色塗りが終わりました。
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/article/462681093.html

今回は
骨組み・紙貼りまで作業しました。

骨組みがやや面倒でした。

12年前は
糊で直接紙に貼りました。

今回は
まず骨組みだけをガンを使ってとめて、
それから糊で神につけました。

写真は今回の終了時です。


ここまでは順調。
次回からは糸付けです。

あと1-2回で完成します、きっと。
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2018年11月12日

「小笠原凧」作り方教室参加

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複数回に分けて実施の
小笠原凧作り方教室。

小笠原凧保存会による講座です。

昨日は
下絵・蝋書き・色塗りまでやりました。

凧なので、
昔風の絵がいいなと思っていました。

12年前と同じ、
「やんすけとやんすけとやんすけと」にしました。
http://ogasawara-mulberry.com/sub3-25.htm

色は
絵本の色使いとは違っています。


この後も、
引き続き、完成目指して頑張ります。
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2018年09月12日

かつてあった兄島空港案

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とある場所に
飾ってあった写真です。

かつてあった兄島空港案の
完成写真。

とても懐かしい写真です。


父島と兄島には橋が架かっています。

父島側は
高校の坂を上り、釣浜口の上です。

兄島側は
タマナビーチの上くらいでしょう。

そこから東の方に道が延び空港へ。

僕の記憶では
橋の部分は、ロープウェイ案だったのを覚えています。


もうこの案は永久にありません。苦笑



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2018年08月15日

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」

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8/15  旧7/5  晴れ


8/15、終戦から73年の朝。

車で通ったので、立ち寄りました。

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」。

島に住んでいると、
いまだに、至る所に戦跡が見られます。

父・母は地上戦がなかったとはいえ、
島の周辺には多くの沈没船があります。

沈没船では
数千人の死傷者が出ています。

そして硫黄島は戦場になり、
多くの将兵・軍属がなくなりました。

小笠原の住民は強制疎開させられ、
直接には戦禍に巻き込まれていません。

しかし、返還まで、
ほとんどの方が戻れませんでした。


観光で来島の方は
こういうことを知らない方が多いです。

島の人は
もっと伝えたほうがいいと思います。

鎮魂・合掌


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