2020年04月17日

奥村、藤森図高墓

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4/17  旧3/25  晴れ


奥村咸臨丸墓地にある
藤森図高(藤森圖高)墓。

https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu/archives/0701syoko_kara06.htm

この墓地は、返還後、
雨水対策でかさ上げした場所日、まとめて設置されています。

明治14年(1881年)6月18日、享年36歳。
病死です。

死因に直接言及しているものはなく、
肺炎を併発というのはありました。

もとは政府の役人として来島、

小笠原が東京府に移管された時(明治13年11月)、
初代所長が藤森氏でした。

所長としての在任期間は
わずか半年ほどでした。


なお図高の読みは正確には伝わっていません。
「とこう」と音読みで読んでいます。

墓では
図の部分は「圖」となっています。


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2020年04月16日

漂流者冥福碑

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父島奥村の山すそにある
漂流者冥福碑。

村の指定有形文化財となっています。
https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/kyouiku/kyouiku_bunkazai/

設置したのは
文久2年8月(1862年9月)、江戸幕府です。

碑の中央上部に「冥福」とあります。

下部には
右から時代が古い順に名前書かれています。

そのあとに、、
「以上十七人者享保元文間年月不分明死於小笠原嶋中」
なっています。

つまり幕府が把握していた
小笠原で亡くなったであろう人の名前です。

歴史家の方が調べた結果では
小笠原で亡くなったのが確実なのは初めの1人だけです。

残りの方は
鳥島だったりしたようです。

さて、その初めの1人ですが、
「阿州浅川浦 船頭勘左衛門 寛文九年冬死小笠原島中」
とあります。

実際に亡くなったのは、
寛文十年になってからだったようです。

また勘左衛門ではなく、勘右衛門のようです。

この船のメンバーがたどりつき、
後に本州まで戻り、幕府に報告しています。

これが
記録のある日本人がこの島にたどり着いた最初です。
寛文10年、1670年のことでした。

1593年、小笠原貞頼が発見というのがありますが、
これは事実に基づくものではありません。
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2020年03月18日

名前の由来がわからない天之浦

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父島の南端部には天之浦という浜があり、
すぐ西側には天之浦山とがあります。

天之浦という地名は
命名の由来がわかりません。

僕が調べた限り、
由来が書いたものを読んだことがありません。


小笠原は
かつてイギリスの探検隊がつけた地名もあります。

しかし、
この場所は「Tenoura」という表記しかありません。

これをネットで検索しても何も出てきません。
英語名でもなさそうです。


似たような名前としては
タチテンノウメ(立ち天の梅)という植物があります。

それがたくさん生えていてためとかは
あるかもしれません。


参考までに
桑にからむ地名はいくつかあります。
桑ノ木山 丸縁湾(mulberry bay)などです。

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2020年03月12日

スポットライトのように日が当たる初寝浦

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昨日午前、ガス陽気でした。

山は
標高250ⅿぐらいからガスの中。

この初寝浦展望台も微妙な状態でした。

下の初寝浦は何とか見えました。
山並みの方はガスの中。


海岸を見ていると、
そこだけ日が差して明るくなりました。

ちょうどいいタイミングでしたね。


初寝浦、
文久の探検隊がつけた名称です。

初めて寝たので初寝です。

島の調査に出て、
この海岸で夜を迎えたことからのようです。
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2020年02月07日

雨水対策、咸臨丸墓地の転石設置

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2/7  旧1/14  曇り


奥村にある咸臨丸墓地、
雨水対策で転石設置をしていただきました。

道路からわずか50mほどですが、
まとまった雨のあとは水路になってしまいます。

スコールのあとなども、そうなりやすいです。

過去の事例
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/article/472149006.html

墓の場所も、その影響を避けるため、
コンクリートで固め、盛り上げてあります。

これで雨天や雨上がりも
安心して訪ねられます。

この作業は近自然工法の技術者の指導の下
やっていただきました。

ありがとうございます。

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2020年02月06日

弟島・学校跡とポスト

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ポスト


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学校門



2/6  旧1/13  曇り

昨日の弟島視察では
南北の旧道縦走しました。

戦前は
弟島にも人が暮らしていました。

一の谷というところでは
学校跡やポストが残っています。

ここが
弟島の中心地だったのでしょうね。


学校は
大村尋常小学校弟島分校だったようです。

周辺はガジュマルが生い茂っています

大村尋常小学校というのは
父島のお祭り広場にあった学校です。

ポストがあるということは
郵便局もあったのでしょうか?

戦後無人島になってしまうと
こうなるのです。
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2020年02月04日

今は利用されない旧道の吹上橋

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吹上橋

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昭和5年10月

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全景

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ひらがなで ふきあげばし

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旧道沿いのサトウキビ作業場

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橋の近くからの景観



かつて
境浦方面から山越えで扇浦方面に抜ける旧道がありました。

今は利用されていません。

その旧道、
境浦側は都道と、扇浦側は農道とつながっています。

扇浦側の農道とつながる直前に
吹上橋が残っています。

昭和5年10月とあります。

旧道は
この橋の近くで分岐し初寝浦の方へ通じていました。





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2020年01月28日

朝暘丸水主(かこ)の墓

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1/28  旧1/4  小雨

朝暘丸水主(3名)の墓、
咸臨丸墓地の一角にあります。

塩飽諸島出身で
死因はコレラで航海中亡くなったようです。

文久2戌

8月25日  櫃石島(ひついしじま)  三代吉

8月27日  高見島(たかみしま)  金右エ門

8月29日  佐柳島(さなぎしま)  忠蔵

と書かれています。(碑文は旧字体)


塩飽諸島の水主は
幕府の軍艦に多く乗り込んでいました。  


朝暘丸は
咸臨丸と入れ替わるように小笠原に来ました。

その後、
八丈から移民団を乗せてきましたが、
彼ら3人はその航海の時に亡くなったものです。


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2020年01月26日

猫岩、瓢箪島、眼鏡島

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左から猫岩、瓢箪島、眼鏡島、
兄島ウグイス浜西側にある小島です。

小島の名前の由来は形からだと思われます。

猫岩、
尖った岩が猫の耳のよう?

瓢箪島は瓢箪形。

眼鏡島は穴が空いている?

実は眼鏡島だけ
きちんと島名すら認識していませんでした。苦笑

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2020年01月23日

平らな飯盛山(めしもりやま)・・今昔

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遠望

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採石場跡

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地質

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当時の道

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絵図

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絵図


父島には
飯盛山というなの山があります。

文久時代の絵図では
しっかり盛り上がっています。

まさに飯盛(めしもり)山。

現在は、平らです。

僕が島に移住した頃、ここは採石場でした。

当時は
ダンプカーも上に上がっていました。

採石場跡は真っ平ら。

洲崎周辺は
文久時代から見ると、かなり地形が変わっていますね。


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2020年01月20日

象鼻﨑、今・昔

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1/20  旧12/26  晴れ

洲崎にある象鼻﨑は
過去と現在では大きく形を変えています。

絵図は
幕末、文久の探検隊(1862年)のころ。

今は削られて、
平らな磯になっています。

自然崩落とは思えません。

昭和10年代、
洲崎に飛行場がつくられました。

その時に削られたものでしょうか?

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2020年01月19日

西川倍太郎墓

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正面

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1/19  旧12/25  曇り

奥村にある咸臨丸墓地。

咸臨丸は無事航海を終えています。

乗組員が島で1人だけ亡くなっていて、
その方の墓がここにあります。

他にも墓や史跡があります。

亡くなったのは「西川倍太郎」
(読みはますたろう・出典不明)

墓の側面には
右:大日本官艦咸臨丸乗組  越前國大野藩
左:文久二年戌正月二十七日没享年三十一
  江戸弟西川昌規寸四假(仮)建立
とあります。

西川氏は
咸臨丸の乗組員で父島に滞在中、亡くなったのです。
(自殺とされています。)

この墓は
弟が江戸から運んできたものと思われます。

福井県大野市願了寺には
西川七兄弟の墓があります。
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2020年01月15日

西島・瓢箪島・人丸島

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1/15  旧12/21  曇り


父島北西部のある小島。

写真の左から
西島・瓢箪島・人丸島。

上陸したことがあるのは西島だけ。

西島だけは
内陸部に一部私有地があります。

瓢箪島は
形が島名の由来と思われます。

人丸島は
柿本人麻呂に似ている部分があるからの由来です。

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2019年12月31日

景色が見えないなあ・・(福田氏の独り言)

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12/31  旧12/6  曇り


まちを見下ろす場所に
福田篤泰氏の胸像があります。

福田篤泰先生之像と
書いてあります。

先生の目線で見てみると、
前のギンネムが邪魔してまちが見えません。

残念です。

福田さんにちゃんと見えもらうために、
定期的に前方の樹木の伐採が必要ですね。







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2019年12月24日

ナサニエル・セボレー墓碑

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12/24   旧11/28  晴れ

父島の大根山には
戦前からの旧墓地と返還後の新墓地があります。

旧墓地には
都の有形文化財となっている
ナサニエル・セボレーの墓もあります。

彼の墓のまわりには
子孫の墓もあります。

墓の位置は
道沿いからはわかりにくいところにあります。

近くまで行くと、
ようやく説明板が見える程度です。

墓地は誰もが訪れてもいいはずですが、
あまり大勢で行くのもよくないかもしれません。

そのあたりの機微は
当事者でない僕にはわからないところです。



1830年、ハワイから欧米人5人と現地人の計20数名が、
小笠原に定住をはじめました。

欧米人5人のうち、
1853年ペリー来航のころまでに、1人だけ生き残り、
リーダーとなっていたのが、
ナサニエル・セボレーです。

墓碑によると、アメリカのブラッドフォード生まれ、
1874年4月10日死去、享年80歳。

彼が島での在命期間
幕府が一時領有する形をとりましたが、
ほとんどが無国籍状態でした。

日本が正式に領有するのは
1876年からです。
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2019年08月21日

ガジュマル林に残る井戸

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8/21  旧7/21  晴れ

ガジュマル林に残る井戸です。

ここは戦前の人家あとの場所。

井戸の深さは5m以上ありそう。

水位は低いときが多いですが、
雨期などはかなり上がっています。

この場所にかが多いのは、
これがあるからかもしれませんね。

ボウフラは
止水の場所で蚊になるそうですね。





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2019年06月18日

まとまった雨で川になる咸臨丸墓地

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咸臨丸(乗組員)墓地、
奥村の旭山山すそにあります。

まとまった雨が降ると、
ここに水が流れ込んで、いつも川ができています。

墓地に行くにも
川を越えなければなりません。

元気な人なら、
飛び越えられる程度ですが、困ったものです。

墓や史跡は
コンクリートで少し高くした上にあります。

これは返還以降の整備です。

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2019年03月25日

アオウミガメのレバー刺身(ふくちゃん)

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3/25  旧2/19  晴れ

アオウミガメのレバ刺しです。

季節限定、
漁期の定番と言えるかも。

居酒屋に行けば、
何軒かでは食べられます。

レバ刺し好きには
たまりません。

ただし、
若干、カメ臭さがあります。

メニューにある日は
僕はいつも頼みます。


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2019年02月26日

「福田篤泰先生之像」

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2/26  旧1/22  晴れ


「福田篤泰先生之像」、胸像です。

福田氏は大臣経験のある政治家で、
小笠原返還に尽力してくれた方です。

小笠原協会が
この像を建立しました。

設置場所は
高台から集落を見下ろす眺めのいい場所にあります。
道路沿いです。

ただ、
それほど観光客が通る場所でなありません。

通っていても気づかない人も多いでしょう。

季節によっては、
像の前方が樹木で見通しが悪くなることがあります。

いつも集落が見える状態でたもってあげてください。

きっと福田さんも
眺めがいいと喜んでいますよ。


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2019年02月25日

故永島辰次郎君碑文

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2/25  旧1/21  曇り

この永島辰次郎碑は
旧大村墓地内にあります。

初代ナサニヨル・セーボレー墓のすぐ近く。

この人物の名前でさえ知っている島民は
少ないことでしょう。

タコノ葉細工の説明では、
名前があがることがあります。

永島氏の
来島は明治19年です。

その頃すでに
欧米系の人がタコノ葉細工をやっていました。

それを普及改良に努め、
工芸品にまで質を高めました。

この碑は
当時の島司(今の小笠原支庁長)高崎襄氏が書いたものです。

碑の年月日は
大正6年11月13日です。
posted by mulberry at 07:36| 東京 ☀| Comment(0) | 歴史 | 更新情報をチェックする