2015年11月23日

「若者や 釣り人集う 緑の明り」

PB220175.JPG

11/23  旧10/12  曇り

小笠原 島かるた 平成18年7月発行です。
僕が制作委員会委員長だったのです。

時は流れて丸9年、早いものです。

力及ばずで
制作後の普及がもう一つの感が否めませんでした。

でも、たまに思いだしてはいます。
リニューアルして、なんとか復活させたいものです。


その島かるた「わ」がこれです。キーワードは青灯台。

「若者や 釣り人集う 緑の明り」
夏は海遊び、それ以外は釣り人が多く集まります。
明りがつくのは夜だけですが・・笑
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2013年04月15日

報告書「郷土かるた探訪」

P4140187.JPG


4/15  旧3/6 雨

島かるたの話題はかなり久しぶりです。

残念なことに、
まったく島内では話題に出なくなっています。

死蔵という感じでしょうか。

島かるたは小笠原村商工会が作ったものですが、
価値ある島の財産と思います。

商工会に島かるたの今後の命運がかかっています。

増刷しての販売も、結局、動かないままです。

僕は制作委員長で頑張っただけに、
なんとかしたい気持ちはすごくあります・・・


さて、この報告書は
執筆者原口美貴子氏が来島時に取材されたものです。

僕も原口氏には来島時、お会いしました。

2013年3月、群馬社会科教育研究第1号38-42ページに記載で、
この報告書は別刷りです。


この島かるた
みなボランティアで作ったのですが、かなり完成度は高いと思いますよ。


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2009年06月26日

返還記念日:6月26日 小笠原にとって 節目の日

6/26 旧閏5/4 はれ 定期船12:00着 550人

今日は41回目の返還記念日です。

1968年6月26日にアメリカから返還されました。

島かるたでは「返還記念日」の読み札は
ろ:  6月26日 小笠原にとって 節目の日
です。

小笠原小学校は創立記念日でおやすみです。
したがって、小学生は3連休となります。

明日の夕方、父島では返還祭が開催されます。

今日到着の船は八丈島寄港特別便です。
http://blogs.dion.ne.jp/mulberry/archives/8315030.html

例年多くの方に来島いただいています。
今年はちょっと少なめですね。

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2009年05月09日

島かるた:おが高の 夏の体育は 前浜で


P5080002.JPG昨日、天気がよかったので、
少し前浜をのぞきにいきました。

前浜では小笠原高校の生徒が、
ウィンドサーフィンをやっていました。

小笠原高校では夏場の体育の授業に
ウィンドサーフィンが取り入れられています。

4月からやっていたのか、5月からなのかは
ちょっとわかりません。

はたから見ると楽しそうに見えますが、
こういう道具を使うものは、慣れるまでが大変です。

でも内地の高校生がこの光景見ると、
きっと羨ましく思うでしょうね。

ちなみに僕はウィンドできません。

うちの子供たちは、学校で習って、
僕のできないことができるようになっていくのです。
ちょっと悔しいですね。

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2009年01月06日

新春・島かるた取り


P1050072.JPG1/6 旧12/11 はれ

昨日午後、千尋の学年(小3)に声をかけ、
お祭りひろばで、大判島かるた取りをやりました。

当日午前に声をかけたのですが、
大部分の子が集まってくれました。

お正月ですので、札を取るたびに、
小分けのお菓子をプレゼント。

1回戦目は普通に呼んでから取ってもらいました。
みなすごい勢いで走ってくるので、
激突が心配なほどでした。
カルタ取りがスポーツという感じです。

2回戦目は、
取り札を裏にして神経衰弱スタイルにしました。
このやり方だと、札をめくって確認するので、
それぞれが散らばって探していました。

僕もかかわった商工会さんの島かるた。
最近、ちっとも普及につながっていない感じです。

ほんとは、
お正月こそ島中でやるくらいになってほしいです。

何か作戦考えて動かさなくちゃ。

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2007年11月06日

小笠原島かるた「ひ」


ccCIMG0033.JPG「ひ」干物・たたき うろこ輝く 村の魚
          :アオムロ(クサヤモロ)

アオムロはアジ科で、
小笠原村の魚に指定されています。

このアオムロという呼び名は
伊豆諸島や小笠原諸島での地方名で、
和名ではクサヤモロといいます。

小笠原では、夏の終わりから秋に
釣りや棒受漁が行われ、
刺身・たたき・干物などで食べられています。

漁業用のえさやクサヤの材料としても
使うことができます。


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2007年04月21日

小笠原島かるた「は」


CIMG67110.JPG「は」 母島に 石の名つけてる 資料館
         :ロース記念館

母島の沖村集落の中にあり、
1987年に郷土資料館として、開館した。

建物は、1913年に砂糖倉庫として建てられたものを、
解体保存、移築したものである。
ロース石造りで、シュロ(ビロウ)葺き屋根である。
東京都有形民俗文化財に指定されている。

ロースというのは、
開拓者の1人のフレデリック・ロルフスの通称で、
母島で産出され、彼が利用方法を伝えた、
加工しやすく、熱に強い岩石をロース石という。

ロースとは、もともとは人の名であった。
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2007年02月15日

小笠原島かるた「の」


no.jpg「の」飲んでみて サトウキビ原料の お酒です
         :ラム酒

小笠原に初めて人が定住したのは1830年。
その中の1人、ナサニエル・セーボレーは、
アメリカなどの捕鯨船との間で、
サトウキビから蒸留したラム酒の取引を行っていた。

1876年以降、
開拓移住民がサトウキビ栽培による、製糖業が発展。
その過程で生じた副産物は
泡酒と蜜酒の製造に利用された。

返還後、
小笠原のラム酒は、村おこしの一環として誕生した、アルコール度数40度の地酒である。

パッションリキュールは、
小笠原のパッションフルーツの果汁を加えた
アルコール度数12度の地酒である。

商品写真は村のHPより。
http://www.oga-rum.com/
http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/sightseeing/tokusan/index.html



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2007年02月05日

小笠原島かるた「ね」


CIMG0057ne.JPG
「ね」ネタをヅケに からしをつけて 握ります
          :島寿司

小笠原の島寿司は
主にサワラ(カマスサワラ)を用いて、
しょうゆベースのたれに漬け込んだ「ヅケ」の
握り寿司である。

わさびを使わず、
からしを使うのも特徴である

味付けは
店や家庭によって、やや違いがある。

小笠原には
明治時代に伝わったとされる。

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2007年02月01日

小笠原島かるた「ぬ」


CIMG0425nu.JPG「ぬ」ぬっと顔出す カメの赤ちゃん 育てて海へ
          :小笠原海洋センター

施設は二見湾の一番奥に位置し、
オレンジ色の屋根がよく目立つ。

小笠原の生物の保護と生態研究を目的に、
1982年4月に開設された。

施設内にはアオウミガメやクジラの展示、
アオウミガメの飼育水槽、産卵場などがあり、
海辺にはアオウミガメのイケスもある。

「カメセンター」とも言われている。
連絡は04998-2-2830まで。

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2007年01月30日

小笠原島かるた「に」


CIMG7435ni.JPG「に」 ニョキニョキと 足は何本 あるのかな?
         :タコノキ

タコノキはタコノキ科の植物で、
小笠原固有種である。
小笠原村の木にも指定されている。
アダンが近縁種とされる。

幹の地面付近は
多くの支柱根によって支えられている。

実は大きな集合果で、
熟してくると1つづつっばらけて落ちる。
中の種は食用になる。

葉は、戦前からタコノ葉細工として
利用されている。

タコニキの葉や幹には
とげがあるので触る時はご注意を。

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2007年01月11日

小笠原島かるた「な」


CIMG3354na.JPG「な」波寄せて 静かに眠る 濱江丸
              :境浦

境浦は
父島の二見湾内の
中心地区から南部の扇浦との中間付近にある浜辺。

したがって、
両地区の境に当たるという意味で境浦。

1944年7月には、
陸軍徴用の輸送船「濱江丸」が
敵の攻撃を受け、最後にこの濱に座礁した。

現在に至るまでそのまま放置されているが、
風化や波浪の影響により、
水面から上はほとんど崩れてしまった。

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2007年01月08日

小笠原島かるた「と」


kyabetu-to.jpg
「と」飛び込めば たちまち周りは 水族館
             :海中公園

小笠原国立公園には
海の中の特別保護地区である、海中公園地区もあり、
父島5ヶ所、母島2ヶ所が指定されている。

ここは
サンゴの群落や海中景観の特別優れたところである。

代表的な場所として
兄島瀬戸の兄島側、キャベツビーチは
船の遊覧で出ると、
たいていここのブイにとめて、休憩する。
そして泳いだり、フィッシュうウォッチングが
できる。

水族館のようである。
お試しを。



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2007年01月07日

小笠原島かるた「て」

「て」 定番で みんなはいてる ゴム草履
        :漁サン(ギョサン)

漁師がよく履くゴム草履というところから、
漁サン(ギョサン)と呼ばれる。

僕も島に移り住んでから
もっぱら普段の履物としている。
年間2足程度で間に合う。
値段は700-800円程度。

便所によくあるゴム
CIMG0051te.JPGサンダルに似た感触で、
やや底が硬い。
型は鼻緒がついていて、ビーチサンダル型である。
意外とすべりにくい。

最近はいろんなサイズや色がある。

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小笠原島かるた「つ」

「つ」梅雨明けて 白い花々 樹冠をかざる
      :ムニンヒメツバキ

小笠原固有種の樹木で、高木になり、
初夏の頃にチャノキやナツツバキ、ヒメシャラなどに似た五弁の花をたくさんつける。
沖縄のイジュが近縁種。

父島では広範囲にたくさん生育しているため、
花の時期は山が白っぽく見えるほどである。

島名「ロースード」で、
バラのような花の咲く木という意味で、
ローズウッドがなまったもの。

小笠原村の花に指定されている。
CIMG7849tu.JPG
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2007年01月05日

小笠原島かるた「ち」


CIMG5710ti.JPG「ち」 父母の 仲を取り持つ 連絡船
         :ははじま丸

ははじま丸は
父島と母島を約2時間で結ぶ定期船。
490トン、143人乗り。
伊豆諸島開発株式会社が運航している。
1991年6月より就航している。

おがさわら丸の入出港日は、
それにあわせた接続便として、
母島とのアクセスに配慮されている。

おがさわら丸父島到着日は接続で母島へ。
おがさわら丸父島出発日は、
出発前に母島から父島へ。
他の日はいくつかの時刻表があり、一往復している。

冬場は運航中、
ザトウクジラがよく見られるため、
別名「ホエールライナー」ともいわれる。
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2006年12月29日

小笠原島かるた「た」


CIMG3676ta.JPG「た」種ごとポリポリ 
    しわしわになったら  さあ食べよう
         :パッションフルーツ

現在、小笠原の農産物・フルーツの代表格。
シーズンは春5-6月と秋。春のほうが多い。

日持ちもするし、冷凍保存もきくので、
お土産にも喜ばれる。

詩の通り、
ちょっとしわしわになってきた頃が
甘みが出て、一層食べごろ。

中身は果肉と種があるが、
両者をスプーンですくって、いっしょに食べる。
だから、ポリポリ音がする。

ぜひ、お試しを。

写真は花。


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2006年12月28日

小笠原島かるた「そ」

「そ」 遭難困難 乗り越えて 日米の架け橋に
        :ジョン万次郎

ジョン万次郎は、数回小笠原に訪れている。

かつて彼は出漁中に、鳥島に漂着して、
アメリカの捕鯨船に助けられて、
そのままアメリカで教育を受けた。

1847年、アメリカの捕鯨船の船員として、
小笠原に初めて来島した。
まだ、日本に戻る前のことであった。

1859年、幕府から許可を受けた船で、
小笠原近海に試験捕鯨に来た。
島には寄らなかった。

1861年、幕府が咸臨丸で小笠原開拓に来たときは
通訳(通弁方)として来島。

1863年、捕鯨のため来島した。

計3回来島および、1回は近海にやってきた。

http://www.city.tosashimizu.kochi.jp/john/john-03.htm
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2006年12月26日

小笠原島かるた「せ」


CIMG8979se.JPG
「せ」戦争で 玉砕の島 今まだ帰れず
              :硫黄島

父島から南に約280kmに位置する。
北から北硫黄島、硫黄島、南硫黄島と連なる3島を
火山列島という。

硫黄島は台地上の平坦な島で、
擂鉢山(169m)が突出している。

火山列島は1891年、勅令第190号により、
東京府小笠原島庁の所属となった。

太平洋戦争末期、1945年2月、
戦場となり日本軍は玉砕し、
20129名の戦死者を出した。

米軍から返還後も、
火山活動によって、定住が困難との見解から、
帰島が許されていない。
数回の墓参や遺骨収集は実施されている。

自衛隊は常駐している。

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2006年12月25日

小笠原島かるた「す」


CIMG2112su.JPG「す」砂浜に 無数に散らばる 貝化石
           :ヒロベソカタマイマイ

ヒロベソカタマイマイは
1000-2000年ほど前に絶滅した陸産貝類である。

南島やジョンビーチの付近の砂地では
この殻が半化石となって、たくさん散らばっている。
特に南島にはまとまって露出して見られる。

殻径は4CMほど。

この殻が見られる場所は
国立公園特別保護地区に指定されているため、
一切、持ち出しはできない。

現地で、じっくり見て、画像におさめてね。
posted by mulberry at 10:24| Comment(0) | 島かるた | 更新情報をチェックする