2021年03月10日

野羊山の三八式野砲

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2021年02月14日

2021年01月31日

奄美大島瀬戸内町手安弾薬本庫

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2020年11月24日

四国佐田岬御籠島からの展望

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2020年06月13日

日産製軍用車残骸(動画)




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2020年04月04日

与那国島 「平和之塔」

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平和之搭


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碑の前は与那国小学校




2020年3月、与那国島訪問。

家族での観光目的です。

戦跡や碑として見つけられたのは
与那国小学校脇にあるこの「平和之塔」だけでした。


資料によると、
与那国町遺族会による建立で、
701名の犠牲者があったそうです。
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2020年3月、波照間島戦跡(碑)

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大東亜戦転身記念碑



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裏面


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学童慰霊碑


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裏面





2020年3月、波照間島訪問。

島内散策がメインで訪れました。

戦跡は
碑を2つ見た程度でした。

大東亜戦転身記念碑と学童慰霊碑です。


転身記念碑は
フィリピンから脱出して
この島に無事たどり着いた人、遺族が建立したそうです。

転身なんて言葉を使いますが、
要は撤退・撤収です。

学童慰霊碑は、
この島から西表に疎開させられ
マラリアで亡くなった学童の慰霊です。
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2020年03月30日

波照間島戦跡

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学童慰霊の碑

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大東亜戦転進記念碑


3/29日帰りで波照間島。

戦跡と言うほどでもないですが、
2つの慰霊碑を見てきました。

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2020年03月26日

与那国島平和之塔

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与那国島、
与那国小学校そばにある
平和之塔です!

明日は
もう少し戦跡探してみます。
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2020年03月06日

陸軍巽崎観測所

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観測所外部

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入口

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内部

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内部


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観測場所

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視界

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途中の電信柱


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軍道の標石

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砲台跡か?

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陸軍巽崎観測所。

ここは父島の
最南東部にあります。

1932年、
大村第一砲台の観測所としてつくられました。

かつては軍道が整備されていました。

現在は
天之浦からの先の急斜面が崩落していて、
行くことすら困難な状態です。

途中は
道の名残があったり、電信柱、標石などが残ります。

観測所内部は
高山観測所とほぼ同じ形状です。

さらに岬先端部に
砲台跡と思われるような跡もあります。

ここは何があったかまだ未確認です。


巽崎、行くことすら困難で、
観光ルート外でもあるので、案内はできません。
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2020年03月05日

トヨタの社章はカタカナ・トヨタ

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トヨタの社章が
軍用車のエンジンに刻印されています。

http://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/automotive_business/products_technology/vehicle_lineage_chart/trademarks_and_emblems/

このマークは、1936年に公募で制定され、
現在も社章として使われています。

このころから社名も
トヨダからトヨタと濁らなくなったのですね。

創業者やその子孫の現在の社長さんは
豊田(とよだ)さん。

1989年以降は
車には新トヨタマークが使われています。

なので、
この社章はあまり見る機会はありません。

たまにニュースなどで
カタカナのトヨタの旗が出てくる時があります。

それがこの社章です。
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2020年03月04日

戦車の砲塔

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3/4  旧2/10  晴れ

大根山の山中、
埋没するかのように残る戦車の砲塔部分。

なぜか、
このエリアにはほかにもあったりします。

洞窟陣地の縦穴の上に
すえているところもあります。

戦車についてはまだ不勉強で
きちんと型式まで把握していません。

当時、
島に戦車はなかったと聞きます。

ゆえに
砲塔だけをいくつか島に運んだのでしょう。
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2020年02月12日

岩ノ鼻(千尋岩)砲台

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砲台 1


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砲台 2


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監視所?

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砲台のある崖


千尋岩からほど近い崖地に
銃眼が3つほど見えます。

そこは
陸軍の八八式七糎野戦高射砲が2門残っています。

どちらもかなり壊されています。

入口も
崩れて塞がりかけています。

ルートから離れていて、
今は行くこともなくなっていしまいました。

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2020年02月04日

軍事施設に残る「岡田乾電池」

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2/4  旧1/11  晴れ

巽谷砲台砲側弾薬庫の思われる場所で
見つけたもの。

複数ありました。

「岡田乾電池」
岡田電気商会と書いてあります。

戦後は東芝電池となりました。

今の乾電池とは形が違うので、
どういう風に使うのかよく分かりません。

島内では
ここでしかこの乾電池を見たことはないです。
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2020年02月02日

壕の中の短い鍾乳石

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2/2  旧1/9  晴れ


父島は南島やジョンビーチ付近以外は
火山岩の島。

そのため、
島内では鍾乳石はほとんど見られません。

まれに、
短い鍾乳石が見られる場所があります。

この場所は戦時中の壕。
つまり洞窟陣地跡。

穴ができて70数年です。

したがって、
この鍾乳石も、そのくらいの年数です。

短いのか、長いのか?


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2020年01月24日

西海岸を見下ろす崖の上の陣地

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1/24自主トレ6日目、
元の巽谷砲台へのルート探し。

結局、うまく見つかりませんでした。
そのうち再チャレンジします。

さまよいながら出たのが
西海岸を見下ろす崖の上。

監視所や陣地跡がありました。

ちなみに巽谷砲台は
この崖の上ではありません。

もっとずーっと下の方です。

谷の方からの砲台です。
据えていたのも榴弾砲。
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2020年01月13日

三日月山展望台崖下の壕

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防火用水

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かまど

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監視所・貯水槽


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展望



三日月山展望台は
二見湾を見下ろす崖の上にあります。

その崖下で
岩をくりぬいて作った壕があります。

10年ぶりくらいに訪れました。

出入口は上中下3か所で、
傾斜のある通路でつながっています。

監視所も1つあります。

全長は150ⅿ以上はありそうです。

一番下の入口付近には
防火用水と書いた丸い水槽。

上の入口付近には4連式のかまど。

監視所の脇には貯水槽。

監視所からは
二見湾が一望です。

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2020年01月10日

有効活用の大村第二砲台砲側弾薬庫

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大村第二砲台あとには
砲側弾薬庫4つが残っています。

うち3つは放置状態で、
1つだけ道沿いにあり、見学が可能。

かなりしっかりしていて、
危険性もほぼありません。

3つのつくりは
いずれも外扉と内扉の二重構造です。

内扉の内部のサイズはほぼ同じと思います。
内部は白く塗られています。


そして残る1つは
気象庁津波地震早期検知網観測局となっています。

さすがに
中は見たことがありません。

たぶん
内部のつくりは同じかと思います。


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2019年12月01日

海軍標石・・電兵(兵電)

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海軍標石「電兵(兵電)」。

ネットで調べても、同様なものが出てきません。


この標石のある周辺は
海軍通信隊と海軍航空隊通信所がありました。


ということで
電信の電でしょうかね。

すぐ近くには
3連式のかまどもありました。
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2019年11月30日

石垣の砲台は珍しいかも?

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父島の夜明山は
陸軍高射砲隊が1941ごろから配備されていました。

砲台や発電所の建物など、
石垣が多用されています。

全国の砲台を見ていて、
太平洋戦争時に石垣を使っているのは珍しいように思います。

明治ならレンガ積みと石垣
それ以降はコンクリートが普通です。

ここは太平洋戦争の頃です。

いかなでしょう?

posted by mulberry at 12:05| 東京 ☀| Comment(0) | 戦跡 | 更新情報をチェックする