2018年09月12日

かつてあった兄島空港案

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とある場所に
飾ってあった写真です。

かつてあった兄島空港案の
完成写真。

とても懐かしい写真です。


父島と兄島には橋が架かっています。

父島側は
高校の坂を上り、釣浜口の上です。

兄島側は
タマナビーチの上くらいでしょう。

そこから東の方に道が延び空港へ。

僕の記憶では
橋の部分は、ロープウェイ案だったのを覚えています。


もうこの案は永久にありません。苦笑



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2018年08月15日

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」

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8/15  旧7/5  晴れ


8/15、終戦から73年の朝。

車で通ったので、立ち寄りました。

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」。

島に住んでいると、
いまだに、至る所に戦跡が見られます。

父・母は地上戦がなかったとはいえ、
島の周辺には多くの沈没船があります。

沈没船では
数千人の死傷者が出ています。

そして硫黄島は戦場になり、
多くの将兵・軍属がなくなりました。

小笠原の住民は強制疎開させられ、
直接には戦禍に巻き込まれていません。

しかし、返還まで、
ほとんどの方が戻れませんでした。


観光で来島の方は
こういうことを知らない方が多いです。

島の人は
もっと伝えたほうがいいと思います。

鎮魂・合掌


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2018年07月30日

咸臨丸終焉の海・・北海道木古内町サラキ岬

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咸臨丸モニュメント

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咸臨丸終焉の碑

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説明版

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終焉の海 案内板

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終焉の海



小笠原にも縁のある咸臨丸。

1871年、開拓移民を乗せて航海中、
木古内町サラキ岬で座礁沈没しました。

現在、その地に、
モニュメント・案内板などがあります。

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2018年06月30日

大屋政太郎氏

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6/30  旧5/17  曇り

大屋政太郎氏、
多分、今の島内で知る人はいなはずです。

知ったのは、僕だって最近です。

記事にはすでに書いていますので
実は2回目です。

大屋政太郎氏、
2つの二宮像の寄贈者です。

捕鯨会社の方だったようで、
責任者とか役員だったのかしら?

二宮像の説明するとき
寄贈した方ののお名前を紹介できていません。

今度こそ、しっかり覚えておきますよ。




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2018年06月28日

小笠原行幸啓(2004年2月13日)、夕食メニュー

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前菜 アオリイカとアカバ(アカハタ)のマリネ


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パンピキンスープ

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グリーンサラダ 和風ドレッシング


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ヒメダイのソテー ハーブソース

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牛ひれ肉の照り焼き  和風ソース

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デザート パッションフルーツと(アイスコーヒー)



天皇皇后両陛下は
2004年(平成6年)2月13日、父島で宿泊されました。

宿はホライズンホテル。


そこの夕食メニューがこれです。


このホテルでは
入港3日目の夜は、主にこのメニューのようです。
(夏場はバーベキューの日もあり)


僕の感想。

コース料理で、島の食材は使われていますが、
特別豪華な感じはなく、普通(庶民的)のメニューと感じました。

価格的にも、
それほど特別な価格ではないと思います。


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2018年06月25日

村役場にはためく八丈町旗

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6/25 旧5/12  晴れ


この便は八丈島寄港便です。

八丈島から150人ほどの方が来島。


村役場では、
国旗を真ん中に、左が小笠原村旗、右が八丈町旗です。

八丈の文字を
鳥形に意匠されています。

小笠原は開拓時代、
八丈島をはじめとする伊豆諸島からの移住者が多くいました。

その後の、
強制疎開で八丈島に戻られた方も多くいると聞きます。

そういった経緯の下、
年に一度、寄港便があります。

この便は天気・海況に恵まれています。
よかった。
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2018年03月28日

二宮像寄贈者・・大屋政太郎氏

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3/28  旧2/12  曇り

小笠原中学校の二宮尊徳(二宮金次郎)像は
戦前、地元の方からの寄贈ということを書きました。
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/article/458356863.html

さらに、
寄贈者は大屋政太郎氏ということもわかりました。
http://www.ogachu.que.ne.jp/gakkoudayori/H29/gakkoutayori201706.pdf

もう一度、像を確認すると、
確かに名前がありました。

左足の後ろで像を支える部分に掘ってありました。

大・屋・政まではわかりますが、
太・郎はかなりわかりにくいですね。

これで、すっきりしました。笑
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2018年03月27日

小笠原中学校の二宮尊徳像

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3/27  旧2/11  晴れ

小笠原中学校には
二宮尊徳(二宮金次郎)像があります。

戦前、
扇浦尋常小学校にあったものです。

大村尋常小学校のものとともに
地元の方が寄贈したそうです。http://www.ogachu.que.ne.jp/gakkoudayori/H29/gakkoutayori201706.pdf

2006年に千尋とともに撮った写真です。
7歳児と同じくらいです。
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/article/386992450.html
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/upload/detail/image/CIMG8069-thumbnail2.JPG.html

夜明山の首なし像もこの顔しているんです。
顔は今はいずこ??。
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2018年02月19日

おがさわら丸にも返還50周年ロゴマーク

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2/19  旧1/4  晴れ

おがさわら丸は
1月後半、ドック入りしました。

ドック明けに戻ってくると、
操舵室のすぐ下に返還50周年のロゴマークがついていました。

船首側にあって、目立っています。

今年は
50周年記念のイベントが目白押しです。
http://50th.anniv-ogasawara.gr.jp/

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2017年10月27日

「行幸記念碑」(昭和天皇)

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10/27  旧9/7  曇り

平成も29年ともなると、
20代以下の人には昭和天皇は実感のない人。

僕は昭和37年生まれですから、
ちゃんと実感があります。
(直接目の前で見たことはないですが・・)

ちなみに
昭和天皇の行幸は戦前です。

昭和2年7月30日から8月1日にかけて。

この場所は大村尋常高等小学校があり、
そこを訪問されています。

戦禍で碑の下半分がなくなり、
のちに元のように作り直したものです。
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2017年10月25日

「行幸啓記念」碑(今上天皇・皇后)

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10/25  旧9/6  晴れ

お祭り広場には
この行幸啓記念碑が建立されています。

となりには
昭和天皇の行幸記念碑が並んでいます。

昭和天皇の行幸のときは
ここに大村尋常高等小学校があり、そこを訪問されています。

昭和2年7月30日から8月1日にかけて。

今上天皇・皇后のときは
そばのビジターセンターを訪問されています。

平成6年2月12-14日にかけて。(硫黄島を先に訪問も)

いつしか
20年以上も経ってしまいました。

天皇・皇后両陛下、近いうち、譲位されるようですが、
いつまでもお元気でいていただきたいものです。

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2017年09月22日

日米間海底電信線の残骸

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9/22  旧8/3  曇り

宮之浜の海底には
古い電信線の残骸がまだあります。

写真で
直線上になってるのがそうです。

1906年、日米間海底電信線が開通しています。

本州から小笠原を経由し、
グァム、ハワイ、サンフランシスコとつながっていました。

日本側は
本州と小笠原をつなげました。

小笠原から先は
アメリカ側でつなげていました。

その電信線の残骸です。
もう100年以上たっているんですね。

直径5cmほどのケーブルです。
http://ogasawara-mulberry.seesaa.net/article/386992465.html
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2017年09月10日

「群島と大学」(石原俊)

群島と大学 冷戦ガラパゴスを超えて [ 石原 俊 ] - 楽天ブックス
群島と大学 冷戦ガラパゴスを超えて [ 石原 俊 ] - 楽天ブックス

2017年3月発行「群島と大学」(石原俊)です。
http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784907986346

本書は4部で成り立っています。

第2部が
「群島という現場──帝国・総力戦・冷戦の底辺から」

僕にとっては
ここが興味のある部分でした。

なぜなら、ここでの群島とは
第1章が小笠原群島、第2章が硫黄島のことだからです。

著者によると、
「日本本土防衛の<捨て石>として
 強制移住あるいは軍務動員を強いられ、
 さらに日本本土復興の<捨て石>
 そして故郷を事実上の<帰還困難地域>とされてきた、
 ・・・島民の経験から・・・
 日本の総力戦体制や冷戦体制を問い直していきます。」
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2017年03月24日

長谷橋の下にもう1つ橋が・・

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僕が父島に移住してかれこれ25年ほど。

上の長谷橋はすでにあったはずです。

その下に古い橋があったとは
今朝まで知りませんでした。笑

この橋はいつまで使っていたんでしょうね。

知っている人いたら、教えてください。
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2017年03月20日

かつてここも人の生活があった・・

DSCN0808.JPG

3/20  旧2/23  曇り

父島の山中には
かつて耕作地だったところ多くあります。

戦後、放棄されて、
またもとの樹林にもどってしまいました。

遺産登録地エリアにも
そういう場所があります。

写真は
サトウキビの圧搾機の残骸かしら?

かつてここも人の生活があったのですね。
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2017年03月17日

山中に残る大きな釜

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3/17  旧2/20  晴れ

先日、
沢の調査中、見つけた大釜です。

沢のヘリはきちんと石積みになっていて、
戦前に人の手が入っていたことがわかります。

近くには
サトウキビの圧搾機の名残もありました。

このあたりは
戦前は畑だったのでしょう。
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2017年03月09日

「小笠原新治碑(小笠原嶋新はりの記碑)

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3/9  旧2/12  晴れ

観光船では
歴史ツアーのガイドをすることがあります。

ツアー中、
必ず立ち寄るのが扇浦納涼山周辺です。

そこには複数の史跡があります。

この小笠原新治碑もそうです。
碑面では「小笠原嶋新は里の記」となっています。

都指定有形文化財となっています。

幕府が
小笠原開拓の趣旨を記載した碑です。

実際の建立は
1862年4月ごろのようです。

咸臨丸で運んだとありますが、碑文の年月からすると
次の朝暘丸ではないかという説もあります。
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2017年02月16日

南袋沢、戦前はここにも人が住んでいた

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中山峠から見下ろす南側の谷筋、南袋沢です。

ブタ海岸から奥に1.5㎞ほどは
傾斜もほとんどない細い谷が続きます。

そこの植物相には
テリハボク、ガジュマル、タケの仲間などが目につきます。

明らかに人の手が入っていた証拠です。

ガジュマルのあるところには人家があったのでしょう。

当時はこの谷も耕作地となっていたのでしょう。

今は無人の谷となっています。

実際、
この谷を歩くと、いろいろ痕跡が残っています。
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2016年07月20日

小笠原諸島返還50周年記念事業実行委員会(第5回)

50周年記念事業実行委員会  #小笠原  #会議



7/20  旧6/17   曇り

昨夜
小笠原諸島返還50周年記念事業実行委員会(第5回)が開催されました。

団体の長として出席。

主議題は2つ。

自主事業第1次募集の採択(案)と
記念事業実施計画(概略案)について

第1次募集の採択ついては
毎年のやっている事業で50周年ならではでないもの2つが
不採択となりました。

実施計画については原案が承認されました。

補足で
母島分科会の設置が承認されました。

なお式典は
2018年6月-7月にかけてとなるようです。
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2016年04月27日

「ペリー来航記念碑」

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波止場の近くには
「ペリー来航記念碑」があります。

1996年に
ニューポート市との友好を記念して建立したものです。

碑には来航の説明ほか、
ペリー肖像レリーフ、探険隊活動レリーフなどがつけられています。

ペリー一行は
1853年6月14日上陸、4日間実踏調査し、
6月18日に島を発っています。
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