2017年03月24日

長谷橋の下にもう1つ橋が・・

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僕が父島に移住してかれこれ25年ほど。

上の長谷橋はすでにあったはずです。

その下に古い橋があったとは
今朝まで知りませんでした。笑

この橋はいつまで使っていたんでしょうね。

知っている人いたら、教えてください。
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2017年03月20日

かつてここも人の生活があった・・

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3/20  旧2/23  曇り

父島の山中には
かつて耕作地だったところ多くあります。

戦後、放棄されて、
またもとの樹林にもどってしまいました。

遺産登録地エリアにも
そういう場所があります。

写真は
サトウキビの圧搾機の残骸かしら?

かつてここも人の生活があったのですね。
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2017年03月17日

山中に残る大きな釜

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3/17  旧2/20  晴れ

先日、
沢の調査中、見つけた大釜です。

沢のヘリはきちんと石積みになっていて、
戦前に人の手が入っていたことがわかります。

近くには
サトウキビの圧搾機の名残もありました。

このあたりは
戦前は畑だったのでしょう。
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2017年03月09日

「小笠原新治碑(小笠原嶋新はりの記碑)

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3/9  旧2/12  晴れ

観光船では
歴史ツアーのガイドをすることがあります。

ツアー中、
必ず立ち寄るのが扇浦納涼山周辺です。

そこには複数の史跡があります。

この小笠原新治碑もそうです。
碑面では「小笠原嶋新は里の記」となっています。

都指定有形文化財となっています。

幕府が
小笠原開拓の趣旨を記載した碑です。

実際の建立は
1862年4月ごろのようです。

咸臨丸で運んだとありますが、碑文の年月からすると
次の朝暘丸ではないかという説もあります。
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2017年02月16日

南袋沢、戦前はここにも人が住んでいた

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中山峠から見下ろす南側の谷筋、南袋沢です。

ブタ海岸から奥に1.5qほどは
傾斜もほとんどない細い谷が続きます。

そこの植物相には
テリハボク、ガジュマル、タケの仲間などが目につきます。

明らかに人の手が入っていた証拠です。

ガジュマルのあるところには人家があったのでしょう。

当時はこの谷も耕作地となっていたのでしょう。

今は無人の谷となっています。

実際、
この谷を歩くと、いろいろ痕跡が残っています。
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2016年07月20日

小笠原諸島返還50周年記念事業実行委員会(第5回)

50周年記念事業実行委員会  #小笠原  #会議



7/20  旧6/17   曇り

昨夜
小笠原諸島返還50周年記念事業実行委員会(第5回)が開催されました。

団体の長として出席。

主議題は2つ。

自主事業第1次募集の採択(案)と
記念事業実施計画(概略案)について

第1次募集の採択ついては
毎年のやっている事業で50周年ならではでないもの2つが
不採択となりました。

実施計画については原案が承認されました。

補足で
母島分科会の設置が承認されました。

なお式典は
2018年6月-7月にかけてとなるようです。
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2016年04月27日

「ペリー来航記念碑」

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波止場の近くには
「ペリー来航記念碑」があります。

1996年に
ニューポート市との友好を記念して建立したものです。

碑には来航の説明ほか、
ペリー肖像レリーフ、探険隊活動レリーフなどがつけられています。

ペリー一行は
1853年6月14日上陸、4日間実踏調査し、
6月18日に島を発っています。
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2015年11月03日

小笠原協会創立50周年記念式典

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11/3  旧9/22   晴れ

昨夕
小笠原協会創立50周年記念式典が開催されました。

この団体は
帰島促進団体の一本化を図るために結成されています。

帰島援護事業の推進、復興・振興の協力、島民の福祉の増進などを
目的としています。

ちなみに
初代会長は故福田篤泰氏です。

式典には
地元団体代表や協会関係者などが呼ばれました。

会長・来賓の挨拶のあと、
功労者の表彰や懇親会と続きました。

式典に
出席させていただきありがとうございました。
50周年、おめでとうございました。
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2015年09月12日

ニチレイ製氷工場跡地

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9/12  旧7/30  晴れ

父島には
製氷海岸という名のつくところがあります。

字で書くと一目瞭然ですが
話し言葉だと、せいひょう?ってなります。

かつて製氷工場があったからですね。・

海洋センターの裏手に空き地があり、
そこが跡地です。

今はレリーフがあります。

古くから島にいる人は廃墟も知っています。

もちろん僕も知っています。
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2015年05月05日

アウトリガーカヌーと青い海

P5040068.JPG

昨日、
とある展望台から眼下の海を見下ろすと・・・

アウトリガーカヌーが1隻。

どうも、釣りをしているみたいでした。

ハワイからの移住者が伝えたという、
ハワイ型のカヌー。

南国の青い海によく似合います。

やはり
南の島はスローがいいですね。
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2015年02月19日

ジョン万次郎は1842-5-27が最初の来島でした

2/19  旧1/1・旧正月 曇り

ジョン万次郎は
複数回、父島に来島あるいは小笠原近海に来たことは知られています。

そして僕は、
1847年4月、フランクリン号での寄港が最初だと思っていました。

これはアメリカの捕鯨船です。
http://www.h2.dion.ne.jp/~mulberry/sub3-71.html

しかし、
ほんとうは1842-5-27だったようです。

鳥島からハウランド号で救助された万次郎たち。

ハワイで万次郎以外は下りましたが、
万次郎だけはそのまま乗船を続け、アメリカまで行きました。

ハウランド号は
ハワイからまた捕鯨のため日本近海に。

1842-5-27、
父島に立ち寄り食料を調達しています。

万次郎が上陸したかどうかは定かではないですが、
湾内まで入ったのは間違いないですね。

【送料無料】 ライマン・ホームズの航海日誌 ジョン万次郎を救った捕鯨船の記録 / 川澄哲夫 【単行本】 - HMV ローソンホットステーション R
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2015年02月12日

ちょっと変わったアレンジの島寿司

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小笠原の定番食文化の1つは島寿司です。

カマスザワラを漬けにして、洋がらしをつけた握りです。

同じ食文化は
八丈・大東島にもあります。

さてこのアレンジ島寿司は
カリフォルニアロール風の島寿司です。

まわりには
ハイビスカスのソースがのっています。

島寿司の野暮ったい感じとは
見た目が大違い。

ネタの漬の風味が弱くなっていますが、
これはこれでしゃれてて面白いですね。

いかがでしょう。

お店はこちら。
http://www.mmjp.or.jp/hotel-horizon/BUONO/index.html
http://www.ogasawaramura.com/eat/buono.html

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2014年12月08日

水主(下級乗組員・水夫)には、名字がありません

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12/8  旧10/17  曇り

この墓は
朝陽丸水主(水夫)の墓です。

乗船中に
コレラで亡くなったそうです。

現代の世では
名字と名前があるのが当たり前。

しかし、この時代、
武士や一部の人を除き、名字はなかったんですね。

だから墓碑には
島名と俗名(生存中の名前)が3人かかれています。

有名なジョン万次郎(中濱万次郎】だって、
幕府に取り立てられまではたぶん名字はなかったでしょう。
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2014年07月15日

故永島辰次郎君碑文

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永島辰次郎の碑は
旧大村墓地内にあります。

永島氏の
来島は明治19年です。

その頃すでに
欧米系の人がタコノ葉細工をやっていました。

それを普及改良に努め、工芸品にまで質を高めました。

この碑は
当時の島司(今の小笠原支庁長)高崎襄氏が書いたものです。

碑の年月日は
大正6年11月13日です。

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2014年03月23日

「島人ぬ宝」の歌詞

ビギンの「島人ぬ宝」は
よく知られた唄ですね。

小笠原中学校では
運動会などでこの歌でエイサーをやります。

詞を改めてよく読むと、
いい詞だなって思います。
もともと
沖縄のふるさとをイメージして書いた詞だと思います。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A00199

でも小笠原も島で離島なので、
そのまま当てはまるような気がします。

島の子には
小笠原のことをより深く知ってもらって、巣立っていってほしいですね。
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2014年03月05日

咸臨丸墓地 「西川倍太郎墓」

P3046232.JPG

奥村の咸臨丸墓地に
いくつかの墓があります。

その中に
「西川倍太郎墓」もあります。
(読みはますたろう・出典不明)

いくつかある墓の中で
この人だけが咸臨丸に直接乗船していた人の墓なのです。

墓の側面には
右:大日本官艦咸臨丸乗組  越前國大野藩
左:文久二年戌正月二十七日没享年三十一
  江戸弟西川昌規寸四假(仮)建立
とあります。

つまり
咸臨丸の乗組員で父島に滞在中、亡くなったのです。
(自殺とされています。)

この墓は
弟が江戸から運んできたものと思われます。

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2014年01月17日

父島穴場スポット(6)・・小笠原神社旧跡地

PICT0790.JPG

現在、
小笠原神社は扇浦の納涼山にあります。

もともとは
この石碑のあるところに建立されたようです。

建立時期ははっきりしませんが、
ある資料によると、明治10年(1877)となっています。(不確実)

ここも
今はほとんど行く人もいない樹林の中になっています。

この付近は
指定ルートや遊歩道がない場所です。

場所は陸軍野戦病院の近く、
字名なら大滝となるであろうと思います。

大滝から現在の地に
うつったのは同資料によると、明治41年(1908)です。

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父島穴場スポット(5)・・弟島朽ちつつあるポスト

PICT1023.JPG



今回の写真は弟島のものです。

父島穴場スポットでは父島以外の写真の紹介もしますが、
タイトルに偽りありと怒らないでくださいね。

弟島にも
戦前は人家がありました。

戦後は無人島です。

弟島の昔の道を歩くと
戦前に人がいた形跡がところどころあります。

このポストもそうですね。

かなり朽ちてきています。

年月を感じますね。

弟島も
観光では歩くことができません。

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2014年01月13日

「日本人はいつ日本人が好きになったのか」(竹田恒泰)

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著者の考えでは
「震災と外患と民主党政権を経験することによって、
 日本人は戦後初めて日本に興味を持ち始めたようだ。」

そこから、
この本のタイトルにつながっていくのです。
http://www.php.co.jp/nihongasuki/

著者によると
「GHQが日本を占領したときに、
 いったいどのようにして日本人の意識を変えさせたのか、
 それをじっくり掘り下げてみようと思った。」

そのあたりのことは2-5章で論じられています。
第2章 GHQが日本人を骨抜きにした
第3章 「戦後教育マニュアル」の正体
第4章 「国体の護持」を達成した日本国憲法
第5章 九条改正と謝罪外交の終焉

中国・韓国との付き合い方については、
第6章 中国は敬して遠ざけよ
第7章 前近代国家・韓国の厄介さ

一言でいうと、中国とは距離を置いて付き合う。
韓国とは無理して付き合うこともない。というのが論点です。


日本人及び日本に住む人たち、
みな心から日本を好きになりましょう。


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2014年01月12日

「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」(竹田恒泰)

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本書は2部構成で
第T部が「日本はいつできたのか」
第U部が「子供に読ませたい建国の教科書」

U部は中学の歴史教科書をイメージして書かれています。
古代から律令国家のあたりまで書かれています。

http://www.php.co.jp/nihonnokoto/

著者は神話を重要視しています。

理由としては
「文字のない時代に起きた建国を説明するには
 神話をもって語る以外に方法はない。」からです。

その基本となるのが
「日本書紀」「古事記」です。

正史であり神話ではあるけど、
真実ととらえるのが彼の考えです。

著者は
神武天皇が即位した年月日年が日本の国の始まりとしています。

皇紀しかり、建国記念日しかり、です。


天皇という表現は
608年遣唐使で使われたのが最初だそうです。

日本という表現は
702年遣唐使からだそうです。

元号は
645年大化が使われたのが始めです。



「神話を知ることは、日本を知ること。」
そんな風に著者は言ってると思います。


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